わたしとこどく
あなたにとってこの話はどうでも良いことかもしれない。どうでも良くないことなのかもしれない。我が子の誕生に次ぐことかもしれないし、精子を拭ってゴミ箱に捨てたティッシュのようなものの可能性もある。
わたしはおそらく、他の人と同様に孤独だ。
なぜ、今更そんなことを言うのだろうか?
それはわたしが最近再受験をして大学に入り直して「社会」にも「大学」にも溶け込めないからかもしれないし、好きな女の子と良い関係が築けていないからかもしれない。
高校が高学歴だからだろうか、わたしの周りには、再受験生と多浪生がたくさんいる。かれらは皆、歳に似合わず考え方が子供っぽかったり顔が幼かったりする。わたしは今まですこしも彼らのことを慮る瞬間がなかったのだが、自分が再受験してみて同情することになった。彼らは、大学に入ったとしても、「社会」にも「大学」にも属さない存在であり、本質的に所属する場所を持たない、悲しい人間である。
社会に属する人というのはどういう人だろう。社会人、と呼ぶ人だろう。わたしの考える日本人の一般的な考え方だと、おそらく、両親の庇護のもとから独立して仕事をして自ら生計を立てている人である。彼らはそれに誇りを持っているし、言うまでもなく再受験生は親の庇護のもとに学業を職業にしている人が多いわけで、その意味で社会人ではないし、よって「社会」に属していない。
大学に溶け込めない、というのはどういうことだろう?それは同学年と、経験からくる差異が想定より多いせいで、自分を理解してもらえない、ということだ。例えば社会人のあなたが今の仕事を辞めて大学に入り直したとしよう。日本の典型的なバカ大学一年生のようにある程度遊び、すこしだけ勉強してあなたは満足できるだろうか。いや、そんなことはあり得ない。なぜならあなたは生き残る為にや今やらなければならないことを知っていて、かつそれを実行していたいからだ。決して他の新入生のように思考を放棄してコンパばかりしているわけにはいかないはずだ。それは、その状態は新入生の中では圧倒的孤独である。
再度宣言しよう。わたしは、元再受験生である。今は大学生である。
社会にも、大学にも属せず、大事な人にも拒絶され、生きている者である。
ああ、悲しいことだ。