J.A.S. BLOG

Let me show you Joy, Anger and Sorrow I've felt.

渋谷のハローウィーンを馬鹿にする奴はカッコ悪い

ハローウィーンである。今夜も渋谷では若者中年果てはじいさんばあさんまでノリノリで楽しい仮装ぱーちーをやるに違いない。万年引きこもりの私には羨ましい話である。

 

ところで最近、というかここ数年、よく渋谷のハローウィーンについてこんな言説を見かける。「ハローウィーンに渋谷で仮装するのはみっともない」「恥知らず」「何が楽しいのか」「やっているのはダサい奴だけ」

 

ここで私は思うのだ。こういうことを言っている奴らこそダサくて恥知らずだと。このような批判をする奴ら、特にテレビ番組で知ったかぶって批判している奴らこそ時代の波に乗れていないし、人の目ばっかり気にしていてカッコ悪いのだと。

 

まずそもそも彼らは何をダサい、と言っているのだろうか?まず第一にそれはおそらく、西洋人のイケてる長身マッチョだったり、巨乳でスタイルが良い美人なお姉さんだったりがハロウィーンに仮装を仲間内でやるならともかく、胴長短足普段は全くイケイケでないブサイクデブもしくはブサイクやせのアジア人が、西洋では通常子供達がやることを楽しそうにやるから(比較した上で)カッコ悪いというのであろう。

 

この思考がまずダサいし、貧しいのだと私は思う。そもそもオリジナルと比較する必要などないのだ。古来から日本は島国として外国の文化を自国に取り入れて独自の文化として育んできた。カレーなどの食べ物や言葉だったり。そのことを考えれば別に良いではないか、胴長短足の大の大人がハローウィーンに路上で仮装してはしゃいだって。新しい日本文化なのだ。いくらおぞましく見えようとも。日本なんて所詮キメラなのである。私は強く思う。日本人は普段集団倫理に抑圧されているのだからたまには祭りで自分を解放する必要性があるし、少しくらい正当化されたって悪いことはないと思うのだ。(ゴミは自分で持ち帰るべきだが)そんなキメラみたいにつぎはぎだらけでも美しく全体が調和しているこの国を彼らはむしろ誇って、新しいガラパゴス文化の生誕であると歓喜するべきなのだ。

 

そもそも、もしハロウィーンをオリジナルと較べて批判するのならクリスマスはどうなるのだ。バレンタインは。この国に数パーセントしかいないキリスト教の信者の方ならともかく、真面目にイエスに祈っている人たちが何十万人いることだろうか。よってオリジナルのイベントと比較することは間違っている。

 

第二に、彼らがダサいという理由は単純に参加者の行動がみっともないからであろう。テレビではハローウィーン近くになると裸に近い格好をしている姉ちゃんや、夜に酔いつぶれて路上で寝ている人たちがクローズアップされる。反論しよう。まず第一に、路上で寝ている人たちはハローウィーンに特有ではない。新橋に行けば金曜には見られる現象である。だからハローウィーンの短所ではない。第二に、テレビはエクストリームな例を選んでいる。実際に行ってみればわかるかもしれないが、姉ちゃんがみんながみんな、裸みたいな格好をしているわけではないのだ。むしろとても寒いので過度の露出は全くない。つまり、だ。渋谷のハローウィーンはみっともなくないのだ。悪いイメージの大部分はゴミ問題からきているのであろう。しかしながらゴミ問題は仮装グッズをここぞとばかりに売ってゴミ箱を設置してこなかった量販店にも責任はあるし、ゴミを放って帰るのも日本人の元からの習性だからハローウィーンだけが悪く言われるのは心外である。(サッカー観戦だったり花見だったりポケモンGOだったり日本人はゴミをポイ捨てするのが大好きだ)よってハローウィーンはダサくもない。

 

なぜ彼らは批判するのか。それは新しいものを受け止める若さがない、能力がないからかもしれないが、恐らくは大勢の意見に流されることしかできないからではないだろうか。格好つけて、もしくは自分みずから体験したことも真剣に本質を考えたこともないくせにただマジョリティーの意見に乗ってみる。批判している人の大部分はそんな人たちのように私には感じられた。

 

そんな奴は、彼らが見下している、ハローウィーンに路上で寝ているお姉ちゃんの一億倍かっこ悪いのだ。